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大分市の地価今昔①/中心商業地編

2021年1月4日

実は、大分市中心商業地の現在の地価は、昭和50年(1975年)前後の地価とほぼ同水準です。当時の大分市の人口は32万人程度(現在は48万人程度)、大卒初任給は10万円程度でした。自動車は既に普及していましたが、まだ、1家に1台という時代です。また、郊外に大型店舗はほとんど無く、トキハを筆頭にジャスコ、ダイエー、パルコ(当初西友)、ニチイ(後のサティ)、長崎屋という超大型店が大分駅の北側半径500m以内にひしめく時代でした。したがって、必然的に客足も中心商業地に集中し、この地域は活力に満ちていました。

当時は「土地の価格は下がらない」という土地神話があり、銀行から借金をして、こぞって、土地を購入する時代です。このような状況の中、地価は右肩上がりで推移し、バブル期にピークを迎えます。現在は坪当たり200万円程度の箇所(トキハ周辺)が、坪当たり2000万円以上で取引されていた時期です。しかし、1991年(平成3年)のバブル崩壊とともに土地神話も終焉し、地価は下落に転じます。中心商業地の地価下落は2015年頃まで続きます。また、地価下落時期は郊外に大型店舗が次々に出店する時期とも重なり、中心商業地は次第に競争力を失っていきました。

そして、この状態に歯止めをかけたのが、2015年の大分駅ビルの完成です。駅ビル開業後の5年間は、年率5%程度の地価上昇が続き、中心商業地は活力を取り戻しつつありました。しかし、その矢先、新型コロナが発生し、現在は不透明な状況となっています。

(こちらとほぼ同様の内容はOITA CITY PRESS 2021年1月号に掲載されています)

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